ghost in the school 1



「双子ちゃんたちの話によると、このあたりらしいけど」
「あ、朝倉さん、やっぱりやめませんか? そろそろ暗くなりますし、危ないですよ……」
「あ、ここかな」
「え?」
 空に青々と陣地を広げる広葉樹。その下を行く私たちのもとに届く光は、主である彼らが食い散らかした後の残飯だけ。麻帆良学園の敷地は広大で、その中には図書館島が浮かぶ池もあれば、ここのような森に囲まれた場所もある。
 鳴滝姉妹が書いた大雑把な地図をポケットから取り出して広げ、現場の地理を照合する。さんぽ部のマッピングは流石に正確だった。
「うん、間違いない。ここだね」
「洞窟って言ってたから、もっと大きいものだと思ってましたけど……」
「ちょおっと大げさだったのは間違いないねー。まるっきり嘘とも言い切れないけど」

 私たちがクラスメイトの双子から仕入れた情報をそのまま表現すると、『麻帆良山に人跡未踏の洞窟発見!』となる。
 ニュースソースがニュースソースだし全面的に信じちゃいなかったものの、彼女たちが大騒ぎしながら報道部の扉を叩いたとき、私はいつもながらのネタ不足。かくして私とさよちゃんは、獣道に近いルートを踏破して、はるばるやって来たわけ。

 ただ、まあ予想どおりと言えば予想どおり。
 古びたコンクリートで長方形の口を開いたそこは、私の肩くらいまである雑草に覆われていた。
「ま、どう考えても戦時中の防空壕だね」
「そうなんですか?」
「さよちゃんなら、リアルタイムで見てたんじゃない?」
「私が生きてた頃には、こんなの作ってませんでした」
「はは……ごめんごめん」
 温厚なさよちゃんが拗ねるのは、自分が生きていた時代背景を間違えられたときくらいだ。現代の中学生から見れば戦前も戦中もまとめて『大昔』の一言にくくられちゃうけど、現実にその時代を生きていた彼女にとっては大違いなんだろう。いまだにゲーム機を『ファミコン』と表現する大人に感じるイライラと似てる、かも。
 私は携帯からWebにアクセスし、防空壕についてざっと調べてみる。
「何か分かりました?」
 自分では操作できないながらも、彼女は携帯電話で何が出来るかってことくらい知っている。伊達に女子中学校で何十年も過ごして来たわけじゃない。
「うーん……」
 国内の防空壕というのは、戦争が劣勢になった1944年頃から盛んに作られるようになったそうだ。太平洋戦争の結果を知っている私たちから見れば、その頃になって慌てて空襲に備えるなんて、ずいぶん悠長な話にも思える。

 それはさておき。この防空壕もごく一般的な時期に掘られたものだとすると、彼女が幽霊になってから作られた可能性が高い。
「さよちゃん、学園内にこんなものを掘ってた記憶、ある?」
「えっと……ないです。幽霊になり立てのころの記憶はどうもはっきりしなくて……。すみません、お役に立てなくて」
「いや、気にしないで。ダメもとで聞いてみただけだから」
 彼女は、生前のことは結構覚えているけど、死の直前から幽霊になってしばらくのことは記憶にないらしい。六十年以上の時間により忘れてしまったのか、そもそも幽霊として目覚めるまでに数年の時間を要したのか、それすら分からない。幽霊としての彼女の記憶は、ある日突然に地縛霊をしている自分に気づいたところから始まっているという。
 でも、彼女にとっては幸せなことかもしれない。十五歳の若さで死亡したという事実から判断する限り、楽しい過去が満載ってこともないだろう。
「それはともかく……やっぱり入ってみるしかないね」
「えーっ! ダメですよ、危ないですって」
「懐中電灯に暗視カメラ、一酸化炭素探知器に……」
「もう準備万端ですかっ!」
「見たところ数十年は人が入ってないからね。戦中の生活の痕跡が出てきたらけっこうな発見だよ。それに最悪の事態を迎えたら、さよちゃんに助けを呼んでもらうから」
 ほけっとした表情を見るに、私が指摘するまで、自分がコンクリートの壁も通り抜けられることを忘れていたみたい。
「で、でも、私の声を聞ける人がなかなか居ないですよ」
「龍宮か桜咲のとこに行けば大丈夫だよ。ネギ先生でも何とかなるしね」
「……危なそうだったら、すぐ引き返してくださいね」
「うん。おっけ」
 さよちゃんは不服そうだけど、ひとまず引いてくれた。




 さて、心配してくれる彼女を押し切って、ついでに手足に細かい傷をつくりつつ雑草をかき分けかき分け入ってみる価値があったかというと。
「……」
「……」
 二人無言で顔を見合わせるしかないくらい、何もなかった。
 黒い稲妻のようなひび割れだらけのコンクリート。それで補強された横穴の向こうに、少し開けた空間がある。やや細長いけど、面積で言うと学校の教室くらいの大きさはあるだろう。
 ただ、そこには生活の跡はおろか、ここを掘った後に人間が出入りしたかどうかも怪しいくらい綺麗なものだった。といっても湿度は高く光も射さないので、快適な環境とは言えない。
 ま、当然といえば当然かもしれない。理由の一つは、麻帆良のあたりは戦時中にも空襲を受けなかったこと。図書館島の蔵書が国内で他に類を見ないほどの質量を誇るのは、そのおかげでもある。
 そしてもう一つの理由。
 麻帆良学園のある辺りはひたすら平地な上に、湖が近くにあるので穴を掘っても水が出やすい。防空壕を掘るには適さない土地だから、こんな不便な場所に作ったんだと思う。確かにここなら山に横穴を掘ればいいから作業も楽だろう。
 気持ちは分かる。でも、その上で敢えてつっこみたい。
「ここ、学校から離れすぎてるからねえ……」
「そうですよね……」
 戦前もこの辺りは学校がひしめき合っていたけど、さよちゃんが居た旧校舎を考えれば分かるとおり、その場所自体は現在もそれほど動いていない。戦時中もこの近くには校舎などなく、ただの森の中だったということになる。
 こんなところに防空壕を作っても、敵の飛行機が来たのを確認してからじゃ隠れられるわけがない。訓練にだって使いにくいだろう。これじゃまるで。
「飾り物……うん、そうかもしれない」
 結果的に空襲されなかったんじゃなく、それが最初から分かっていたとしたら。
 この辺りが空襲を免れたのは、この学園が連合国側のイギリスと特別な繋がりがあったから、という噂もある。それが他の町からの嫉妬から生じたのではなく、事実だとしたら。
 この学園都市の管理者は、ここが空襲されないと知っていた。でも、『外国と繋がりがあるので安全です』なんて言ったら、国からも世間からも袋叩きにあう。だから役に立たない防空壕を作って、空襲に備えたという体裁だけを整えた……。
「え? 何か言いました、朝倉さん?」
「え……いーや、何でもないよ」
 壁際を飛び回っているさよちゃんの声で、B級ハリウッド映画じみた妄想が解けた。もちろん、こんな防空壕一つで歴史の闇とやらが解明できるわけがない。
 いつか確かめられる時が来るかもしれないし、その時までこのネタはとっておくことにしよう。
「それよりさ、やっぱり隠し部屋とかないよね?」
「ありませんねー。この部屋の周りは全部確かめたんですけど」
 幽霊の姿が壁に消えては現れ、現れては消える。変わった設計になってないか調べるために私が頼んだことだけど、かなりシュールな映像。ハリウッドにCG製作を依頼したら幾ら掛かるかな。
「そりゃそうだよねえ。軍隊の基地とかならともかく、ただの防空壕だし」
「記事にならなくて残念でしたね」
 うなだれる彼女と違って、私はそれほど落ち込んでいない。
「うーん……書けなくもないよ、記事」
「え?」




「あれ、さよちゃん。待っててくれたの?」
 ひたすら視神経を酷使する校正作業が終わり、最新号の見本を一部持って出てくると、部室前の廊下にはさよちゃんがいた。身長は私の方がずっと高いけど、向こうは地上数十センチでふわふわ浮いているので目線は同じくらいになっている。
「朝倉さん」
「ごめんねー、知ってたらもう少し早く切り上げたんだけど、卒業した先輩が久しぶりに顔出してたから話し込んじゃって」
「あ、それは知ってますから」
「……へ? どうして?」
「いえ、高等部の制服を来た人たちが沢山入っていくのを見ました」
 言われてみれば当然のことだった。中等部の報道部に高等部の生徒が入っているのを見れば、他に考えようがない。
「初歩的なことだよ和美くん、てなとこか」
「……なんです、それ?」
「ホームズの翻訳って戦後だっけ……ってそんなことより、ちょうど良かったよ。さよちゃんに手伝ってもらった件、まほら新聞の最新号に掲載が決まったんだ。見本取ってきたから、一緒に見よ」
「え……あ、はい」

 夢中で話をしていて気づかなかった。
 さよちゃんの様子がおかしい。
 大体、さよちゃんは普段から会話に没入することが多い。口数の比率からいって私と居ると聞き役になることが多いけど、そんなときは一言一句聞き逃すまいとしているかのようだ。これまで何十年間も話のできる相手を持てなかったから、それだけ真剣に考えているのかもしれない。
 それなのに。
 今日の彼女の耳は、私の言葉を追いかけてこない。私の舌が止まったことにも気づかない様子で寮の窓から見える雲を見ている。
 私の話はちょっと細かすぎて、報道部の新人には退屈だったと思う。でも、それで何も言わず上の空になるような子じゃないんだよね。
「どうしたの?」
「……え、え? なんですか?」
 小さなため息からレジュームした彼女は、あわてて聞き返す。
「なんだかぼーっとしてるから、気になることでもあるのかなあって」
「そ、そんなことないですよ」
「じゃ、私が今どこまで話してたか言ってみて」
「え? えーと……」
「うん」
「……新聞のことです」
「範囲広すぎ。もうちょい絞って」
「うーんと……記事のことです」
「……もういいや」
「ごめんなさい……聞いてませんでした……」
「いや、別にそれはいいんだけどさ。何か気になることがあるんだね」




「え……いえ、別に何も……」
「さよちゃん、嘘つくの下手なんだから、ちゃっちゃと打ち明けちゃいなって」
 今の私の状況って、手の掛からない良い子に接する保護者に近いような気がする。決して悪いことはしないし言うこともきいてくれるけど、強引なくらい踏み込まないと本音を引き出せない。
 強引さは私の特技だ。視線の勝負で寄り切った私を前に、さよちゃんがおずおずと顔を上げる。
「今日……卒業された方たちが来てましたよね」
「ああ、報道部のことね。うん」
「見覚えのある方も何人かいました」
「そりゃそうだと思うよ。卒業したのはこの前の三月だし、何か月も経ってないから」
「私、その方たちが入学したときから知ってるんです」
「……」
 口を挟むのをためらった。さよちゃんの表情が、私を止めた。
「みんな、私を追い抜いて卒業しちゃった人たちです。私だけがずっと中学校に残り続けてます。この学校は進級しても使う教室は変わりませんから、私もあの教室を使うクラスで三年間を過ごします。その後はまた、新しい一年生と一緒にやり直し。その繰り返しです。私の同級生の中には、卒業してから学校に教師として戻ってきて、さらにそれから数十年を経て定年退職された方もいます。それに……」
 続きを言うのをやめても意味はない。
 彼女が幽霊をはじめて六十年余り。最初の頃の『同級生』のうち、かなりの人たちが死を迎えていてもおかしくない。
「今日、学校を卒業された方たちを見て、そんなことを考えてました。そして、朝倉さんと会って……」
 その後は涙が引き継いだ。どれだけ指の隙間から溢れても、床を濡らすことのない特別な涙。




 私はどんな言葉を掛けることができるのか考えて、それが無駄だと気づいた。彼女の孤独は、十四歳の人間に理解できるようなもんじゃない。「離ればなれになっていくのはさよちゃんだけじゃない」とか「また会いに来るよ」とか、浮かぶのは何処からかの借り物みたいな台詞ばっかり。
 それに、さよちゃんは言わないし考えてもいないかもしれないけど。
 私や先生みたいに彼女と話のできる存在が、その孤独をより深くしている。いっそ気づかれないまま私たちとすれ違っていれば、それはこれまで何度も繰り返してきたシーンの一つにすぎなかったはず。
 でも、私たちは出会ってしまった。それを無かったことにはできない。
「あ……」
「へへ……上手いもんでしょ。抱き真似」
「は……はい……」
 私の腕の中にさよちゃんがいる。右手は背中に、左手は頭に。どちらにも感触は返ってこない。彼女の輪郭に沿って腕を回しているだけだから、空気を抱いているのと同じ。
 でも断じて、この中にいるのは幻なんかじゃない。
「さっきの話の続きだけどさ。口で言うより見てもらった方が早いや。ちょっと見てみて」
 机に置きっぱなしのコピー用紙を指さして、手を下ろしさよちゃんを解放する。最初から捕まえてもいないんだけど、私の腕をするっと通り抜けるのを見たくなかったから。
「は、はい……」
 彼女は校正用の原稿の前にホバリングして、ゆっくり読み始める。

 大きな記事じゃない。白黒写真が一枚あるきりの、ごくささやかなもの。その短い文章の後半に、こんなことを書いた。


 防空壕跡が人知れず学園の敷地内にあるのは危ない。初等部の子供たちが潜り込んで事故が起きる可能性もある。だが、入口だけ簡単に塞いだくらいで、子供の好奇心を抑えられるはずもない。といって、本格的に埋めるには費用も手間も掛かる。
 それならいっそ、麻帆良学園の子供たちをみんな見学に連れていくようにすればどうか。誰もが知っている場所なら、そこに好奇心を覚える子もいなくなる。
 何より、あの暗く狭い人工の洞窟は、戦争がどういうものかを雄弁に物語るものだから。


 そして、いちばん見てもらいたかったのは。
「あ、朝倉さん……これ……」
「なに?」
「私の名前が入ってますけど……」
 末尾の『文責:朝倉和美・相坂さよ』を見て、あわてて振り向く。彼女のリアクションは予想どおり。私ってば性格悪いかも。
「当然でしょ、たくさん手伝ってもらったんだから。それに、さよちゃんが居なきゃ思いつかなかった記事だしね」
「い、いいんですか? 私、部員じゃないし……」
「このまえ勝手に入部届を出しといたから、とっくに部員になってるよ」
「そうですか……って、そういう問題じゃなくて私は……」
「だからさ。とりあえずこうやって、さよちゃんが今ここに居るんだって証拠をたくさん残していけばいいんじゃない? この新聞読んだ人の中には、相坂さよって子を覚えてくれる人も少しくらいは居ると思うよ」

 我ながら恥ずかしい台本だこりゃ。だいたい私はこういう湿っぽい場面に向かないのよ。
 でもまあ、今回は我慢しよう。
 一人の聴衆の反応が、なかなかに良かったんだから。

 


(注)
 ホームズ譚の初翻訳は「日本人」1894年1月3日号から2月18日号にわたって4回連載された「乞食道楽」(原題:The Man with the Twisted Lip)。さよが知らなかったのは、一般的な女子学生が好んで探偵小説を読む時代ではなかった、というだけです。








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