ghost in the school 2



「何を見てるんですか?」
 掌のコピー用紙に、木々に、煙に、雲。全てがはためき揺れる強い風の中。何よりも先に吹かれて消えそうな、でも誰よりも長くこの場所に在り続けてきた彼女の声。
「ああ、これ? 生徒会の決算書。この前の生徒総会で発表されたからね」
「何か気になるところがありました?」
「そんな真剣に見える?」
「はい、とっても」
「……ま、そんなに大したことでもないんだけどね。ここよ、ここ」
 私が指さす先を見ようと、さよちゃんが隣にすっと空中移動してくる。私は行儀悪く中庭の芝生に寝そべっているから、二人して横になる姿勢になった。
「えっと……ああ、部活ごとの決算状況ですね」
 うちの学校には尋常じゃないほど多くの部活があるから、こういった書類をまとめるのも一苦労だ。おかげで、視神経に優しくない一覧表が出来上がる。
「そ。ここがちょっとね」
 私が示した数字に顔を寄せ、にらめっこをした末に小首を傾げる。こういう仕草が嫌味なくできる子ってのは良いね。私にゃ無理だわ。
「どこかおかしいですか? 他の部と比べて特別に多かったり少なかったりはしないみたいですけど」
「ちなみにこっちが一昨年の決算書」
「一昨年と比べて……? ああ、確かに増えてますね。でも、部のお金って予算の枠内でしか使えないんでしょう? 去年はたくさん予算が貰えたってことじゃないんですか」
「ま、普通はそうだね。ほとんどの部は予算一杯まで使い切っちゃうし。ただこの部、一昨年は予算が余ってるのよ」
「あ、本当ですね。去年は五万円の予算で、一万五千円の不用額が出てます。今年は同じく五万円の予算で、不用額は……二十八円」
「うちの生徒会はお役所と違って、不用額が発生したことを理由に次年度の予算を減らしたりしないからね。良心のある部はちゃんと不用額を返すわけ。この部の場合も、一昨年は合宿参加者が当初の予定より減ったって事情があったみたい」
「そういう事情を汲んで、去年の予算枠は一昨年と同額だったんですね」
「そ。だから純粋に、去年は不用額が減った分だけ決算額が増えてるってわけ」
「他の部と同じように、年度内に予算を使い切るようにしたんでしょうか。あんまり良い事じゃないですけど」
「それならまだ良いんだけどね……素直にそうは思えないのが問題なのよ」
 何せこの部には……と言おうとして、やっぱり止める。
 あいつの性格を熟知するには、さよちゃんはお人好しすぎるからね。




 翌日。
 最後までお喋りに興じていたチアの三人も、いつの間にやら消えてしまった。放課後の教室で、私とさよちゃんは生徒会室から借り出した決算資料を広げている。こういうとき、席が隣だと面倒が無くて楽だ。
 うちの学校では、生徒総会の後に生徒会の決算資料が公開される。生徒会の会計に申請書を出せば、領収書まで含めて全ての書類が閲覧可能だ。
 ま、余程の物好きでもなきゃ、こんなものを見ようとは思わない。今年の総会後に閲覧申請を出したのは、私たちが最初だったと言われた。
「大して面白いもんじゃないからねえ」
「……え?」
「ああ、何でもないよ」
 ルーズリーフに貼り付けられた領収書の束を穴の空くほど見つめていたさよちゃん。気を抜いていた自分に反省し、確認作業に戻る。
「でもこれ、ちゃんと領収書はついてますよ。貼り付けてあるのも生徒会の用紙ですし」
「だねえ」
 『麻帆良学園中等部』が薄く印字されたルーズリーフを改めて確認し、小さく頷く。
 手帳に書き留めた、レシート及び領収書のリストを見てみた。

  ○4/12(金)  280円 使い捨てカイロ
  ○4/26(金)   80円 ノート
  ○5/13(月) 2,878円 CD-R10枚組、ラベルシール、コピー用紙
  ○5/31(金)  520円 ホッチキス、輪ゴム
  ○6/14(金)  280円 使い捨てカイロ
  ○6/19(水) 11,800円 500ミリミラーレンズ …………

 このあたりは消耗品。ミラーレンズってのはこの部に特有のものだけど、他の品目はどこの部にも必要なものばかり。

  ○6/20(木)  870円 模造紙、糊、マジック

 去年の手帳によると、これは大麻帆良祭の前日。買った物もそれっぽい。

  ○8/11(日) 20,000円 宿泊費

 夏休み中の合宿かな。これじゃ部員全員の費用は賄えないから、持ち出しも結構あったはず。貧乏文化部は辛いね。他人事じゃないけど。

 これ以降は、再び消耗品の羅列。添付された領収書やレシートは、今年の2月21日で終わっている。特に年度末の駆け込み購入はしていないよう。

「あ」
「ん? 何か分かった?」
「ちょっと変わったところ、見つけました」
 そう言ったさよちゃんが指さしたのは、6月14日の日付が刻印されたスーパーのレシート。
「夏にカイロを買うなんておかしいですよね」
「ああ、それは別におかしくないよ。不良在庫で安くなった時期に、まとめて買っておいたんでしょ」
「なるほど、しっかりしてますね」
「しっかりしてるはず、なのが問題なのよ」
「え……」
 さよちゃんが言葉を継ぐ前に、教室前方のドアが音もなく開いた。書類を受け取った時に見た、生徒会の会計担当が入ってくる。私と同学年のようだけど、超巨大マンモスたる麻帆良学園では口を利いたこともない生徒が沢山いる。彼女もその中のひとり。報道部の基礎教養として生徒会役員のパーソナルデータは頭に入っているけど、それ以上の知識は無い。額を見せるセミロングの髪に大きめの眼鏡が、役職どおり真面目そうな印象をばら蒔いていた。
「閲覧の方は終わりましたか?」
「ああ、もう約束の時間だっけ」
「ええ。三十分で済むと仰っていましたが」
 机に置いた携帯を見ると、確かに生徒会室で受け取ってから四十分は経っている。さよちゃんとお喋りしながら書類をめくっている間に、けっこう時間がかかってしまったみたい。
 ちらと視線をやると、さよちゃんはおとなしく席に座っている。自分のことを関知できない人(つまりほとんど全ての人)が側にいるとき、彼女は言葉を発しない。私が混乱したり、独り言の多い変人扱いされたりするのを防ぐためだ。
 小さく笑って私たちの話を聞いているさよちゃんを見て、私は今後の方針を固めた。

 見て見ぬふりは、やめ。
 乱入してきたお邪魔虫さんへの八つ当たりかもしれない。
「ああ、ごめんごめん。もう終わったから返すね」
 ルーズリーフを束ねたクリアブルーのファイルを閉じながら返事をする。
「あ」
「ん? どうかした?」
「線が、その……」
「え……あ、ごめん」
 右手に持ったままの赤ボールペンが、紙の横にしっかり線を描いていた。ファイルを閉じた際に付いたものだ。
「汚されては困ります」
「あー、本当ごめんね。でも、いちおう中身は無事みたいだし、許してよ」
 彼女の目の前でペラペラと紙をめくり、ルーズリーフの中身を示す。私のペンは紙の端、本で言うところの『小口』より下に侵入してはいない。これには私も胸をなで下ろす気持ちだ。
「…………分かりました」
「ありがと! じゃあこれ、よろしく」
 渋い表情の相手に畳みかけるように、机の左側に置いてあった一枚の紙を手に取り、ボールペンを赤から黒に持ち替えて勢いよく記入していく。
 本日二度目ともなれば、すぐに必要事項は埋まってしまう。
「また……ですか」
 一歩机に近づいてきた彼女は、プラスチックレンズの向こう側で眉を傾ける。彼女にとっては見慣れた用紙、決算資料の閲覧申請書を見て。
「そ。今度は文芸部に生物部に弁論部。ごめんねー、手間取らせて」
「……今度は書類を汚さないでくださいね」
 差し出されたファイルを受け取った彼女は、皮肉を一つ残して立ち去った。その足音はとても小さくて、薄い扉を閉めるだけで聞こえなくなる。


 幽霊にも身体の不調はあるらしい。ただしそれは、痛みや軽い風邪など、自分でイメージできる症状に限られるそうだ。詳しい理屈は分からないけど、怪しい雑誌やら本やらで見かける『残留思念』という発想が合っているとすると、理屈は通っている。自分が経験したこともなく想像もつかないもの、例えば未知の病や大怪我なんてものは、思考が及ばないから決して起こらない。
 我思わない故に無し、と。
「他の部にも、気になるところがあったんですか?」
 でも、数分黙っていたくらいでは、彼女の声が死んでしまうことなどない。ま、あんまりイメージしたくない状況ではあるしね。
「ぜーんぜん」
「え? じゃあどうして……」
「今さっき挙げた部活には共通点があるのよ」
「えっと……全て文化系の部活ですよね」
「もひとつ付け加えるとね。あの会計担当の知り合いが所属していない、ってとこ」
「どういうことです?」
「ただのカンだけどね。悪いことするのに、友達は巻き込みたくないもんじゃない?」




 十分近く経って、ようやく彼女は3−Aの教室に戻ってきた。さよちゃんは例によって話をやめ、私たちのやり取りを見守っている。
「お待たせしました」
「ありがと。ごめんねー、手間掛けさせちゃって」
 手渡された三冊のファイルを受け取ったが、彼女は伸ばした両手を下ろすだけ。
「あれ? 戻らないの?」
「生徒会の仕事は終わりましたので。たびたび足を運ぶのも面倒ですし、ここで待たせてもらいます」
「ま、良いけどね。今度は大した時間掛からないし」
「そうですか」
 通路を隔てて私の右隣、いいんちょの席に腰を下ろす。不在の教卓に先生がいるかのように、その視線は正面から動かない。
「あんた、真面目そうだね」
「……?」
「いや、姿勢良く座るのが習い性になってんだなと思ったからさ」
「朝倉さんのお仕事とは、関係ないと思いますけど」
 彼女の表情は、厚い髪の防壁に遮られて窺うことが出来ない。やりやすいと言えばやりやすいんだけど。
「大アリなのよねー、残念ながら」
「え?」
「こんな証拠物件を持ってきてくれたからさ」
 大事な話は、やっぱり顔を見ながらでないとね。

 私の両手の中で、『文芸部』というラベルを貼られた緑色のファイルが折り曲げられている。思わせぶりな私の言葉にようやく首を向けた彼女の顔が、それを見て強張る。
 大事な資料が再び毀損されようとしているから、ではない。
 曲げられ強調されたルーズリーフの束の側面に、赤いボールペンの線がくっきり残っているから。

「どれだけ小規模でも、横領は横領だね」
「……」
 無愛想な仮面が、一瞬にしてひび割れ、そして崩れ去った。
 数秒前まで想像もできなかった彼女と潤んだ瞳の組み合わせが、今はしっくりくる。
「小さな嘘はバレやすいもんよ。もっと大っぴらにやれば良かったのに」
「……」
 推理から証拠の提示に至るまで延々引っ張る古典的な名探偵と違って、私は最初に証拠を出した。だから彼女も、反論する気配すら見せない。
 それでも言葉を継ぐのは、この場で状況が把握できていない唯一の人のため。
「天文部の活動日は金曜。観測会や注文品のレンズ代を除くほとんどの領収書は金曜ばかり。でも数ページだけ、そうなっていないものがある」
 私は5月13日の領収書を貼り付けたページを開く。右端に薄く、でも確かに、私がわざと付けた赤い線が見える。
 生徒会の会計である彼女は、領収書を貼り付けたルーズリーフを、文芸部と天文部で使い回していたわけだ。領収書を貼り付ける用紙が生徒会から提供され各部共通であり、かつ着脱可能なルーズリーフだったから使える手口。赤いラインを見ると、他に10月と2月の領収書でも同じ方法を使っているようだ。
「曜日の違いについては気づいていました。でも、他に前後の日付の矛盾なく使えるものがなくって……」
「7月のレシートの後に6月のものが来たら、そりゃ不自然だもんね」
「はい」
 憑き物が落ちたようにすっきりした表情で、淡々と語ってくれる。この操作は、彼女にとっても心労のタネだったんだろう。生徒総会なんて寿命が縮む思いだったんじゃないか。悪いことはするもんじゃないね。
「でもさ。方法は分かったけど、目的はいまいちはっきりしないんだよね。あんたのクラスメイトが天文部に何人か居るのは知ってるから、その辺に頼み込まれたんじゃないかと想像はできるけど」
「よくご存じですね……」
「朝倉和美を舐めちゃダメよ」
「よく分かりました」
 メモを取りそうな真剣さで頷かれても、それはそれで困ってしまう。
「で、天文部の子たちは何て頼んできたの?」
「各部の決算時期に『立て替えて払って買ったものがあるけど、領収書をなくした』と言われたんです」
「なるほどね」
「もちろん、領収書のない出費を部の経費に計上することはできません。ただ、天文部には幾らか不用額が生じていると聞いたので、その範囲内なら何とか出来ると考えました」
「それで、既に生徒会へ決算書を提出し終わっていた文芸部の領収書を渡して、天文部の決算に計上した、と。二つの部の決算時期がずれていたから成立したわけか」
「はい。不正を防ぐため複数の人間で各部の決算資料をチェックしますが、複数の部の決算資料を同時に見ることはありません。資料を取り出すのは私の仕事ですから、チェックする方の部に領収書を添付すれば良かったんです。細かな品目まで精査することはありませんし」
「完全犯罪寸前だったねえ」
「そういうことです。朝倉さんが居なければ」
 言葉とは裏腹に、その視線に私への敵意は感じられない。結局のところ彼女は、悪人になりきるには小心過ぎたんだろう。私が気づかなくても、しばらく経てば自分から生徒会で告白していたのかもしれない。




 ここで私は、ちょっとしたジェスチャーを見せた。半口開けて私たちの会話に聞き入っていたさよちゃんに目配せし、窓の外を指さす。机に置いた手帳に殴り書きしたメモに一言、『ごめん。セキはずして』。
 さよちゃんを知らない人が同席しているときに使う、いつものやり方。理由も何も明らかにしないぶっきらぼうな伝言に、気を悪くした風もない。
「わかりました」
 私にだけ聞こえる声でそう言って、彼女は大きなガラスをすり抜け中庭へと飛び去った。こういう時の待ち合わせ場所は正門前に決めてあるから、はぐれてしまう心配もない。

 こんな面倒なことをしたのには、二つの理由がある。
 一つは、私の不審な行動に反応する余裕もないこの子と、ちょっと立ち入った話をしなければならないから。
「でもねえ。やっぱりこういうことは良くないと思うよ」
「はい。不正に動かしたお金は生徒会に返します。顧問の先生にも……」
「そういうことじゃなくてさ。話を聞く限りじゃ、天文部の子たちが生徒会の会計やってるあんたを利用したっぽいし。あんたがダメなことはダメだって言わなきゃ、また繰り返しになるよ」
「はい」
 ぼんやり頷く彼女を見て、心の中でため息をつく。
「……あんまり分かってないね。私が言ってるのは、その子たちが本当に部のお金を立て替えて払っていたのかどうか、何の証拠もないってこと」
「……そんなことは」
 決算の初歩的な改ざんがバレた時よりも、はるかに驚いた顔を見せる彼女。私の言葉はそれだけ予想外だったらしい。
 報道部の仲間をのけ者にした、もう一つの理由。
「その子たちのことを何にも知らない私には、あんたへの頼み事の真偽は判断できないよ。でも、想像もしないような悪い事を考える奴も、世の中には居るからね」

 こんな台詞、さよちゃんの前で言えるわけないじゃない。


「朝倉さん、すごいですっ」
 校門上空3メートルで私を待ってくれていた彼女の第一声。紅く染まり始めた中庭を、私の方へまっすぐ泳いでくる。
 速く飛べばちゃんと崩れるストレートの長髪。残留思念だかなんだか知らないけど、良く出来てる仕組みだ。
「ごめんね、待ってもらっちゃって」
「気にしないでください。そんなことより、今日は大活躍でしたね」
「ちょっとズルがあるんだけどねー。決算書を見ただけで妙なことを想像したわけじゃないんだ」
「え?」
「天文部には、うちのクラスのあいつが居るでしょ」
「ああ、那波さんですね」
「あのスーパー小姑を擁する天文部が、急に部費の使い切りに走ったり大麻帆良祭前日に模造紙を切らしたりするなんて、絶対にあり得ないのよ」
 半径数十メートル以内には影も形もないと分かっていても、『小姑』の一言は自然と小声になった。千鶴イヤーは地獄耳。
「うーん……そうかもしれませんね」
「そ。あいつも自分の部のことだし、そろそろ気づくでしょ。主犯従犯含めて粛清の嵐が吹き荒れる頃よ」
「あはは……」
 さよちゃんの乾いた笑いが、無人の通学路にこだました。










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