ghost in the school 3 |
生徒会の事件を記録したのは、普段使っているのとは違う、カギ付きの黒い手帳。 発表することはないから手を加える必要もない。書いた本人しか判らない覚え書きに毛の生えたレベルのそれを読み終えると、再び手帳を閉じて鍵を掛ける。安っぽい金メッキの鍵が甲高い音を立てて、他人の秘密をしまい込んだ。 横から見ると、薄かった手帳が不格好な厚みを作るまでに使用済ページが増えている。発表できないネタばかり集めた不思議な手帳をどうして持ち続けているのか、自分にも分からない。もっとも今これを焼却炉に投げ込んだところで、記憶まで一緒に燃やし尽くせる筈もないけど。 部室棟の階段を半分上がり踊り場で百八十度ターンしたところで、逆光の中を泳ぐ彼女を見つけた。彼女の姿というか見え方は、こっちの体調や天気によっても微妙に違ってくる。今日は夏めいてきた強い日差しの加減で、純白の制服がより澄んで見えた。 幽霊の見え方ルールを観察してまとめたら面白いかもしれない。これまた発表できる可能性は限りなくゼロに近いけど。 さよちゃんはずっと私を待っていたようで、声を掛ける前に私に気づいて、無音で空を滑ってくる。 「ごめんごめん。待たせちゃったね」 「大丈夫ですよ。取材の時間まで、まだずいぶん余裕がありますから」 「でも、どしたのこんなとこで」 木製の手すりが描くヘアピンカーブに身を預け、ホバリングする幽霊さんと向き合う。大会を控えたソフトボール部の取材に付き合ってもらうのをお願いしたのは私だけど、待ち合わせの場所は報道部の部室だったはず。 「あ、それは……ちょっとお取り込み中だったので……」 「部室が?」 「はい」 「別に気にしなくていいと思うけど」 幽霊の自分を見ることの出来ない部員たちと居てもつまらないかもしれないけど、人の話を聞いているだけでも楽しいって言ってたはずなのに。 「退屈だったので、ちょっと外を見たくて……」 「ふーん」 珍しく奥歯に物が挟まったような物言いの彼女。それを少し不審に思ったけど、とりあえず私はその横をすり抜けることにした。 「あ、どちらへ?」 これまた珍しい大きな声に、彼女自身も驚いたらしい。慌てて両手で口を押さえる姿は可愛いはずなのに、硬い表情のままじゃ台無しだ。 「……これ、部室に置いてからいこうかと思って」 右手の鞄を持ち上げ、さよちゃんに示す。カメラやボイスレコーダー、手帳なんかはいつも持ち歩いてるけど、教科書やら英和辞典やらは流石に取材に必要ないだろう。 質問に対して普通に答えているだけなのに(そしてその答えはサプライズ要素ゼロなのに)、息を飲む音まで聞こえてきそうなリアクションが帰ってきた。 「あ、でも、早く取材に行った方がいいんじゃ……」 「時間はまだあるって言ったの、だれ?」 「……私です、ね……」 我が国の出生率ばりに右肩下がりの声量で、うなだれるさよちゃん。 今までの言動で、彼女が何をやりたいのか分からないほど鈍感な人って、一度お目に掛かりたいもんだ。 「うん。気が変わった。部室に行くのは後にする」 「本当ですか!?」 文字どおり飛び上がって喜べるのは、彼女の特権。軽く五十センチは浮き上がった後で、さよちゃんは再びホバリング。 「どうして私に部室へ行って欲しくないのか、教えてくれたらね」 『重力? 何それ美味しい?』ってな格好で静止して、身体と一緒に表情まで固まった。 ソフトボール部の取材はきちっとした約束じゃなく、大会がある週末までに行けばいい。 その話を聞いて、さよちゃんも諦めたみたいだ。 帰宅部が通り過ぎたあと、部活の参加者が通る前の中庭を二人占めにして、ベンチに腰掛ける私たち。 隣に座る(姿勢を取っている)彼女は、さっきからずっと目を伏せたまま。 「ここまでやっといてなんだけど、どうしてもイヤだって言うなら、無理に聞き出すつもりはないよ」 「……え?」 期待に満ちた表情を浮かべた彼女の素直さと比べて、私は本当にズルい。 むかし再放送されてた刑事ドラマの、渋い中年刑事。彼が向き合えばどんな容疑者も自白する、取り調べのプロ。 「でも、ここで言っちゃった方が楽になると思うよ。下手なウソを続けるのも疲れるでしょ」 「……」 「うちの部室でのことだから、関係するのは報道部員だね? それなら私も無関係じゃないし」 意地の悪い私は考えるんだ。 犯人に同情して人情話してカツ丼たべさせて自白させるのと、拷問に掛けて自白させるのと。 百パーセント自白するという結果が同じなら、そこに何の違いがあるんだろう、って。 「…………そうですよね。私には、どうしていいか分からないし……」 落としのアサさん。うーん、どうにも語呂が悪い。 「私が朝倉さんを待ってると、部員の方たちが入ってきたんです。三人で一緒に来られました。名前は……」 「ま、言わない方がいいと思うよ。その方が少しは気楽じゃない」 「ありがとうございます」 小さな部だから、内部に居る私が話を聞いたら誰のことかは見当が付くだろう。そんなことは承知の上で、さよちゃんは私の言葉を受け入れてくれた。 「それで?」 「はい。最初は今度の新聞のこととか、普通のことを話していたんです。でも突然、その中の一人が鞄に手を伸ばしました」 「うん」 「その中から取り出したのは、飾り気のない水色の封筒でした。ポストに出す縦長のじゃなくて、正方形に近いものです」 さよちゃんの指が宙に描く四角形が正確な大きさだったので、良く理解できた。 「ああ、シールとかで留めるアレね。ラブレターでも入ってそうな」 「そのとおりです。その中に入っているのは……恋文だということです」 自分が書いたわけでもないのに、耳まで染めて俯くさよちゃん。戦前の人間とのジェネレーションギャップは広く深い。 「なるほど。その子の恋の相談を盗み聞きしちゃったからバツが悪い、と」 「違います」 試しに、私が瞬時に思いついたリストの中でいちばんライトな状況を持ち出してみたんだけど、いつも穏やかなさよちゃんらしからぬ強い否定が返ってきた。 そんな私に気づきもせず、彼女は再び十数分前の報道部室に戻っていた。 「こんなの預かっちゃったんだよね、って見せびらかせてました。一緒にいたお友達の方に」 「……なるほど」 リストで上から三番目くらいにヘビーな状況だった。 「宛先は、男子中等部に通ってる彼女のお知り合いです。あんな奴のどこが良いのかわからないって、大声で笑ってました。聞いてたお友達は困った顔でたしなめていたんですけど、ぜんぜん聞く耳を持たなくて」 「それで部室に入って欲しくなかった、と」 「……はい」 流れ落ちる長髪から覗く彼女の顔に、怒りの色はなかった。ただ悲しさだけがあった。 「さよちゃんって、どうして慣れないのかね」 「え?」 「幽霊生活も長く続けば、他人の秘密をイヤでも知っちゃうでしょうに。人の汚いところも悪いところも、沢山見てきたんじゃないの?」 今日の私は妙に狡い。さよちゃんの保護者役を降りないままで、自分の相談を持ちかけている。 このまえの事件で見たばかりの、生徒会役員の表情を思い出す。 記事にならなくても記憶は残る。 人の秘密を知ってしまうのは、幽霊も『報道記者』も同じだ。 「……確かにそういうこともありました。でも、そうじゃないことも一杯ありましたよ」 「そんなもんかねえ」 さよちゃんの言葉に新聞の人生相談ほどの説得力すら感じなかった私から、自分でも驚くほど低い声が落ちた。 そのことが少しショックだった。 彼女の透明な世界に棲めなくなるくらい、自分はヘドロの中を泳いでいたんだろうか。 「朝倉さん……」 「ん?」 下を向いていたのは、いつの間にか私の方になっていた。ベンチを離陸して目の前に静止したさよちゃんが、かすかな笑顔で覗き込む。 「このことで私、朝倉さんにお願いしたいことがありまして」 サークル棟から出てきた彼女は、幸い一にも人きり。友達連れじゃなくて助かった。別れるまで尾行するのは簡単だけど、学校を離れるわけにはいかないからね。電源ケーブル付きのロボットみたいなもんで、地縛霊のさよちゃんには行動半径というものがある。 「やっ」 「あ……朝倉先輩。今日は遅かったですね」 短く切りそろえた髪が、小さく弧を描く。顔だけ向き直ったその表情は、いつもどおりの無邪気な明るい笑顔だった。もっとも、出口で待ち伏せして素の横顔を盗み見た私に、その演技は無意味だ。 また見てしまった、他人の秘密。 「ああ、違う違う。部室に行くんじゃなくて、あんたに用があってね」 「私に?」 さよちゃんが座っていた場所に小さな身体を押し込め、私もその隣に腰掛ける。どんな用事か言わない私を不審に思ったようだったけど、それは許してほしい。 私だって、自分がこれから何を話すのか知らないんだから。 「何なんですか? お話って」 「まあそう焦んないでよ」 そう言って私は彼女から目を逸らし、無人の中庭に視線を投げる。 中空を見つめて言葉を選んでいる。そう映るはずだ、さよちゃんを感知できない彼女の視界には。 「ありがとうございます。じゃ、はじめますよ」 さよちゃんの言葉を受けて、ようやく私が話を始める。 「じゃ、はじめますよ」 「……え?」 聞き返してくる彼女の言葉で、私は間違いに気づく。そっか、語尾に気をつけなきゃならないんだ。どちらかというとハラハラしているさよちゃんを安心させるため、私は大げさに頭を掻いた。 「ああ、間違い間違い。緊張してんのかなー、柄にもなく」 「緊張するようなお話なんですか?」 「まあね。じゃ、続き続き」 私は視線を再びさよちゃんに送り、小さく合図。頷いた彼女が口を開く。 「私、聞いちゃったんです。報道部の部室で」 「聞いちゃったんだよねー。さっき部室の前でさ」 要するに。私たちは二人一組で、腹話術をやっているわけだ。 さよちゃんの『お願い』は、私にパペット役をやってほしいということ。 人の恋路を邪魔する奴にドロップキック……というのは性格的に違うだろうから、単に彼女を説得しようと思っているんだろう。 それなら私が話したいことを聞いておいてから伝言すれば簡単なんだけど、私はあえて面倒な手段を選んだ。後輩が部室を出るまでどれくらいの時間が掛かるか分からないという理由もある。けど、それよりさよちゃんが彼女に何をどう伝えるのか興味があったという個人的な理由の方が大きい。何よりこれは、さよちゃん自身の『事件』なのだし。 「え……?」 「人の手紙を捨てるのは、やっぱり良くないと思います」「人の手紙をすてちゃうのは、ちょっとまずいんじゃないかなー」 文字の上では音声多重放送に聞こえるけれど、リスナーに聞こえているのは後追いしている私の声だけ。若干の間は空くけど、さほど不自然ではないはず。 今気づいたけど、さよちゃんの言葉を自分の言葉に変換しようとすると、朝倉和美口調が少し大げさになるようだ。他人の物真似が、たいていデフォルメし過ぎたいびつな代物になるのと同じこと。 「あ、あれはただの冗談で……」 不意打ちに驚いた彼女は、それでも態勢を立て直し、こっちがどこまで知っているのかを探ろうと抵抗する。往生際が悪いあたり、なかなかに記者向きの性格かもしれない。 「じゃ、それをきちんと渡すんですね」「じゃ、きちんと渡すんだ」 「それは……」 「それなら、人の恋文という大切なもの、預からなければ良かったと思います」「それならラブレターなんて預かるんじゃないよ」 「……」 私(正確にはさよちゃん)が手紙の中身まで含めて全てを知っているのだと悟り、彼女は抵抗を諦めた。『盗み聞きなんて』→『聞こえちゃっただけ』的オヤクソク会話をしないで済んだのは、時間の節約につながって有り難い。 だから私は、これからさよちゃんが彼女に手紙を届けるよう説得するものだと思っていた。思い込んでいた。 「今からでも返してくるべきです。これは渡せませんって」「……え……あ、今からでも返してこなきゃダメだよ。これは渡せないって」 「そう……ですよね」 両手で顔を覆う彼女に、私の動揺は見つからなかったみたいだ。さよちゃんの言葉は、私が予想していたものとはかなり違った。 そして続く言葉は、それ以上に予想と違った。 「友人の恋文を渡さずにいて、その相手に自分が告白する。そんなことできないでしょう?」 「…………え……?」 「……は?」 「……気づいていなかったんですね」 悩める後輩の背中が校門に消えたのを確認して。私は大きく息を吐いた。 あの状況下から上手いこと相坂語・朝倉語の同時通訳を再開してのけた自分を褒めてやりたい。思い返しても背中をイヤな汗が走る。 「気づいてなかったよ……部員の恋愛問題とか興味ないし。さよちゃんはどうして知ってたの?」 我ながら言い訳がましいひとりごと。知らなくても簡単に察しはつくはずなのに。 今日の私はそれだけ不調なんだろうか。 「部室で、彼女が生徒手帳にちっちゃな写真を入れているのを見ていたので」 「なるほどね……。でもま、ラブレター預かった友人が実は――って、昭和の漫画みたいな王道パターンじゃない。なんで気づかないかなあ私ってば」 「朝倉さんだから、てっきりご存じのうえで私の話を聞いているんだとばかり」 「さよちゃん、あんがい意地悪だよね」 「そんなことありませんっ。もう!」 「はは、じょーだんだって」 ひとしきりむくれて見せてから、くるりと右旋回してさよちゃんが笑う。 「どうなるかは分からないですけど、悔いが残らないようになるといいですね」 「まあね」 さっきと違って、今度はさよちゃんの言葉を素直に受け止めることが出来た。 幽霊と記者が見つけるのは、悪いものばかりではないと判ったから。 |
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