待ち人



 着物姿の少女たちを飲み込み、ガラス戸は騒々しい話し声を断ち切った。
 実家へ帰省した生徒が多く、普段より住人の少ない中等部女子寮。その玄関をじっと見つめる私服姿の少女が、傍目に分かるほど急に力を抜く、その瞬間。
「お疲れさま」
「……龍宮か」
 小さな動揺を声に乗せることなく、振り向かず応える。
 桜咲刹那の背後に立った、彼女より頭二つ近く高い少女は、険の立った声音を聞いて苦笑いを浮かべる。
「こんなに近づかれるまで気づかないとはな。混み合う神社での尾行はずいぶんと神経を使ったようだ」
「お前が気配を消してくるからだ。悪趣味だぞ」
 相変わらず視線も向けない刹那の言葉を柳に風と受け流し、
「さて、行こうか」
突然、こんなことを言い出した。
「は?」
「初詣だよ。どうせお前自身は『お嬢様』の警護に忙しくて、ろくに参拝していないのだろう?」
 もっとも、刹那がきちんと龍宮真名に顔を向けて話をしていれば、少しも意外に思わなかっただろう。
 真名の服装を見れば、彼女の実家と、『松の内』と呼ばれる今の時期を考え合わせることが直ぐに出来たはずだ。


「外で客引きまでするのか、龍宮神社は」
「いいじゃないか。少しくらい実家の商売に協力してくれ」
 二人の健脚には、少々の石段など何の障害にもならない。ものの十数分で辿り着いたところは、学園都市内にある小さな神社だった。そして、朱と白の巫女装束に身を包んだ真名の実家でもある。
「大体、どこに参っても大して変わらんよ。日本には八百万の神が居るからな。その辺の古木に手を叩いても効果は同じさ」
「お前が神社の存在意義を否定するな」
 小規模な神社とはいえ、世俗の言葉で言えば『かき入れ時』にあたるこの季節。それなりに参拝客の居る境内の中で、刹那は声を落として注意する。
 当の真名は全く気にしていないのだから、お節介も良いところなのだが。




 おとなしく並んで参拝を済ませた刹那は、人の列から逃れた開放感で伸びをする。そんな彼女に、信仰の舞台とは思えぬ喧噪の中でも深く響く、低い声が放られた。
 どこの神社でも見かけるお神籤売り場の中に、真名が座っていた。人にだけ並ばせて自分が参拝しないのは服装を気にしてのことだろうと考えていた刹那だったが、それは先刻同様に気の回しすぎだったと言える。刹那を待って建物の内部に回り込むのに、時間を要するというだけの理由のようだ。
「うちのお神籤は、なかなか当たるらしいぞ」
「商売熱心な巫女だ」
 賽銭箱の前と違って、売り場には客が居なかった。後ろで待つ者もいないのを良いことに、二人の同級生は小さな窓枠越しに話し込む。
 何故かそれは、囚人とそれを見舞う来客のようにも見える。
「しかも凶は排除済ときている」
「だからお前が暴露するな」
 ぶつぶつ言いながら、お賽銭の前でしまった飾り気のない小さな黒の財布を取り出す。
「どれどれ」
「人の籤を覗くな」
「大吉。待ち人来たる、か。お望みの運勢だな」
 身を乗り出し長身を傾けた真名は、刹那が慌てて隠した紙片の文字をしっかり読み取っていた。
「……」
「こちらで警護を続けて二年弱。そろそろ『お嬢様』と打ち解け……」
「龍宮」
 軽い調子の言葉が撃ち落とされる。先ほどまでと同じ声帯を使ったとは思えない、冷たい声。
「……ああ。すまなかったな」
 悪戯めいた微笑から一転。真名の顔には、複雑な後悔の色が濃い。
 それは、刹那の傷口に不用意に触れたという理由だけではない。


「あれ、真名さんも引くんですね」
「ええ。お願いします」
 日頃は閑散としているこの神社でも、年始のこの時期だけは巫女のアルバイトを雇っている。今年の該当者は近所に住む高校一年生の少女だった。学年にして真名より二つ上に当たるが、雇用主の娘という立場に配慮してか真名自身の雰囲気に気圧されてか、低い物腰に終始している。
「え、お金は良いんじゃないですか?」
「いえ。公私混同は良くないですから」
 取り出した硬貨と引き替えに受け取った紙片を、彼女にしてはゆっくりとした動作で開封する。
「なるほど当たるはずだ。正月だからといってお愛想は言ってくれない」
「あれ、悪い運勢でしたか?」
「……いえ、何でもありません」
 独り言を聞かれた真名は、恥ずかしそうな顔で売り場を離れた。それは付き合いの浅いアルバイトの少女にも分かるほど、珍しい表情だった。

 主に一瞥された紙切れは、すでに役目を終えたようだった。利き腕と反対の腕で木に結ばれるという儀式を経ることもなく、神意を伝える文書から丸められた紙屑へと転落する。
「凶だけでなく、この籤も除いておくべきだったな」
 長身の真名は、境内の混雑の頭越しに石段を見つめた。
 『お嬢様』に対する真剣さを再確認させられた、小柄な少女が消えた方向を。










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