チョコレートエンド




「最近のリリアンかわら版は面白くないわね」

 最新号の編集作業も終わり、あとは印刷を待つばかり。放課後はいつもフル稼働となっている骨董ワープロが、久しぶりの休暇を満喫している夕暮れ時。
 私の姉であり新聞部の前部長である築山三奈子さまがドアを開けてそう言い放ったとき、幸いにも部室には私一人しかいなかった。
「何ですか、藪から棒に。他の部員が聞いたらびっくりしますよ」
「ご挨拶ね、久しぶりに部室へ足を運んだっていうのに」
「それはこちらの台詞です。いきなりそんな中傷をされたら、従順な妹だって怒りますよ」
「……誰が従順な妹よ。私の言うことを素直に聞いたことが一度でもあった?」
「お姉さまがいつも無茶を言うからです」
「まあ、そんなことが言えるのも今日までよ。最近のかわら版が面白くないってのは、データが証明した事実なんだから」
 極道映画で下っ端ヤクザが顔に貼り付けてそうな笑みを浮かべ、お姉さまは通学カバンから一冊のノートを取り出した。
「データ……?」
「そう。リリアンかわら版の危機とあっては引退した身とはいえ、捨て置くことは出来ないわ。私は築山三奈子、新聞部の名誉部長ですもの」
「御託と自分ででっち上げた称号は聞かなかったことにしますので、さっさと本題に入ったらどうですか」
「……」
 なぜだか涙目で差し出されたノートを、視線も合わせず受け取った。
 ピンクの付箋が付けられたページを開くと、そこには大きな字でこう書いてあった。


       
リリアンかわら版 緊急読者アンケート


 こんなことやってる暇があるなら、受験勉強したらどうですか。
「こんなことやってる暇があるなら、受験勉強したらどうですか」
「大きなお世話よ!」
「失礼しました。つい思ったことが素直に口に出てしまって」
「まったく。そういうことは心に秘めておきなさいっていうか心にも思わないで!」
「努力します」
 一ページ目ですでに続きを見る気が萎えたのだが、あっさり立ち直り期待に満ちた目で見つめ続ける姉の期待を裏切るわけにもいかない。
 従順な妹は、渋々ながらページをめくった。


    Q 最近のリリアンかわら版をどう思いますか。
    A 前より面白くなった。   …… 0%
      以前と変わらない     ……15%
      前よりつまらなくなった。 ……85%


 予想どおりの内容で、逆にびっくりした。
「ちなみに、アンケートの実施形態は?」
「対面調査」
「対象者は?」
「一年生と二年生」
「……」
「わ、わざとじゃないわよ、手近に同級生が居なかったからであって」
「プレッシャーを掛けやすい下級生に相手を絞ったわけではないと」
「…………もちろんよ」
 パーセンテージの端数からいって、調査対象者は二十人か。お馬鹿な姉に付き合わせて申し訳ない。名前も知らない生徒たちに、心の中で頭を下げた。
「新聞部前編集部長の築山三奈子さんは、学園内では有名人ですよね」
「……そんなことないと思うけど」
「上級生に面と向かって『あなたが編集長の頃のかわら版はつまらなかった』なんて言える生徒、滅多にいませんよ」
「うっ」
 顔をひきつらせるお姉さまを見て、偏頭痛がしてきそうなこめかみを人差し指で押さえた。同時に左手は、アンケート結果あらため情報操作結果を机の端に押しやる。どこぞの独裁国家の世論調査でも、イカサマはもうちょっと控え目に行われるだろう。まったくこの人ときたら。
 視界の隅においやられた情報操作結果あらため受験勉強からの逃避作業を見て、お姉さまは小さくため息をつく。
「確かにこれはやり方が悪かったかもしれないわ」
「分かれば良いんです分かれば」
「でもね、今のかわら版を心配してるのは本当なのよ」
 いつもの悪ふざけが終わったものと油断していた私は、低い声音の言葉に驚いた。
「なんですか、その思わせぶりな呟きは」
「真美、あなた薔薇の館に遠慮しすぎなんじゃないの? あなたが部長になってから、スクープの一つもないじゃない」
「そうそうスクープの種が転がってるわけないでしょう。そもそもお姉さまが遠慮しなさすぎたんです。新聞部が解散を命じられる寸前までいったのは誰のせいでしたっけ」
「そんなことあったかしら?」
 ぬけぬけと天井を見上げて小首を傾げる姉。ちょっと本気っぽいのが余計に憎らしい。
「ありました! 何度も!」
「何度もは言いすぎよ。黄薔薇革命の時と、先代黄薔薇さまの一件くらいじゃない」
「よく覚えてるじゃないですか! 一年に二度もあれば充分です!」
 最近出したことのない大声を出して、額にうっすらと汗が流れるのを感じる。久しぶりに部室へ顔を出したと思ったらこの言動。どこまでも人騒がせな姉だ。
「それくらい分かってるわよ」
「ほんとですか……?」
 鏡を見たくないくらい眉に皺を寄せて見上げる私に向けられた視線は、さっきよりも真剣味を増していた。
「ただね。私は知り合いが薔薇の館に居なかったけど、あなたは違うでしょう?」
「……そうですね」
 確かにお姉さまは、同学年である祥子さまや令さまと顔見知りではなかった。学年の違う先代薔薇さまたちや祐巳さんたちとは、なおのこと接点がない。付き合いは新聞部部長の立場でのものに限られていたはずだ。
 それに対して私は、つぼみである祐巳さんと由乃さんのクラスメイト。志摩子さんとはクラスが違うけれど、祐巳さんや由乃さんと一緒に居れば、部の仕事以外でも話すことは多い。
「友達が取材対象ってのも嫌なものでしょう」
 呟くお姉さまの顔は珍しく物憂げで、私はすぐに思い出した。
 今年の三月、卒業式の後に起こったあの出来事を。










 前部長を見送り、お姉さまが部室に戻ってきた。

 今日のお姉さまは泣きどおしだ。
 式典の最中から早くも危なかったのは、講堂で遠目に見ただけでも分かった。
 薔薇さま方とのお別れでは、当事者たちがみんな笑顔なのに、お姉さまだけ涙をこらえきれず早退。
 トドメに自分の姉でもある先代部長のお見送り。
 ただでさえイイ話に弱いのだから、涙腺がこの連続攻撃に耐えられるはずがない。時刻から考えて、先代部長と別れてすぐに戻ってきたはずがない。赤くなった目元を隠すため外で時間を潰していたんだろうけれど、まるで成果が上がっていなかった。
「お疲れさまでした」
 言って私は、珍しく気を遣って立ち上がり、姉のために椅子を引こうとした。
 お姉さまの手から離れたドアが閉まるか閉まらないかのうちに同級生の部員がひとり駆け込んできて、せっかくの心配りは有耶無耶になってしまったが。
「部長っ! ついに起こりましたよっ!」
「何が?」
 気のない返事の編集長をものともせず、彼女は声を張り上げる。
「寧子さまと浅香さまの姉妹がケンカ別れです!」
 なお潤んでいた瞳が、一瞬にして干涸らびた。感情表現が大袈裟なお姉さまにしてはわかりにくい、けれど劇的な変化だった。
 自分の話に夢中でそれに気づかない私の同級生は、なおも話を続ける。
「式の後の中庭で、浅香さまが寧子さまにロザリオを投げつけたそうです! これまで確証はなかったですけど、もう間違いありませんよ。噂どおり寧子さまは、浅香さまでなく真純さまと……」
「ストップ」
 次号のかわら版について相談しているときの弾むようなものとは程遠い声音を聞いて、ようやく彼女の唇が止まった。
「その話を知っている部員は、あなたたちだけ?」
「いえ、もう一人います」
「その子は何処に?」
「浅香さまのクラスメイトに話を聞きに行って……」
 その言葉が終わるのを待たず、編集部長は冷たく言い放った。
「今すぐ呼び戻しなさい」
「え……どうしてですか」
「無駄だからよ。今回の件は記事にしないから」
「なぜですっ……か」
 眼光に恐れをなしたのか、前のめりになった台詞と短髪が急ブレーキで失速する。
「寧子さまは今日で卒業されるでしょう。そんな人を、学内の新聞部が追いかけてはいけないでしょう」
 小さく縮んでしまったような一年生を見て自分がどれだけ険しい表情をしていたのか気づいたらしく、お姉さまは小さな笑顔を作ってそう告げた。
 その表情も言葉も、その場を取り繕った嘘に決まっているけれど。



「お姉さま」
「…………なに」
 取材中という同級生を呼びに行った彼女の姿が、ドアの隙間に消えたのを確認してから、私は初めて口を挟む。
「林浅香さまと伴真純さま、お二人ともお姉さまのクラスメイトでしたね」
「去年の話よ。今年は二人とも別のクラスになったから」
「去年のクラスの方が重要です。寧子さまが浅香さまを妹にされたのは、去年のことですから」
「相変わらずスラスラと生徒の個人情報が出てくるわね、真美の頭からは」
「当事者が友人でなくても、記事にはしなかったでしょうか?」
「しなかった」
 即答だった。
「以前、由乃さんがロザリオを返上したときは、嬉々として取材に走り回ってたじゃないですか」
「あれはさ、あんなに令さんと仲良しだった由乃さんが、何の理由もなく姉妹の縁を切るなんて思わなかったから」
 それで出来上がったのが、後に由乃さんが『美化850%。原型とどめず』とのたまうことになる、令さま由乃さん特集号だったわけだ。
 でもそれは。
「完全に見込み取材ですよね。記者としては最大の間違いですよ」
「そうなのよ。築山三奈子は思い込み激しいし夢中になると周りが見えなくなるし後先考えずに突っ走るし」
「自覚はあったんですね」
「真美はその辺しっかりしているから、あんな騒ぎは起こさないだろうけど」
 珍しく優しい目で私を見てから続ける。
「でも、私は一つだけ自信を持ってもいるのよ。私が求めているものはこの学校の生徒たちが求めているものと同じだってことに」
 誇らしげに胸を張る姿を見て、私は思い出す。
 黄薔薇革命で生徒たちを右往左往させたのは、実は令さまでも由乃さんでもない。お姉さまが一時間足らずで仕上げた一本の記事だ。
 それは確かに、お姉さまの興味が生徒の興味と一致している証拠だ。
「今回の事件は学校の生徒たちが求めるものではないから、今回の件は記事にしない、と」
 さっきの言い訳じみた言葉――卒業する寧子さまへの配慮――は、やはり嘘だった。友人ふたりに不幸を持ち込まれたのだから、お姉さまはむしろ寧子さまを嫌っているだろう。気遣いなんてするはずがない。
「そう。真美が察しているとおり、私はあの三人の関係なんてとっくに知ってたもの。でもそこにはドラマも感傷もない。ただ臆病な人間が揃って不満をため続けて、必然として最後に爆発しただけの話。こんな話を記事にしたって、学校の生徒たちがそれぞれの姉や妹に疑心暗鬼を持つようになるだけよ」
 令さまと由乃さんの姉妹解消を記事にして後追い縁切りを学園にバラ撒いた本人が言っても、多くの人は納得できないかもしれない。
 ただ。あの三人の関係を見続けた姉を知っている私としては、お互いを疑いながら姉妹で居続けることの方が悲劇だという言葉を否定することは出来ない。
 だから私は、こんなことを言うしかなかった。
「それでもやっぱり、友人だから記事にしなかったんじゃないんですか」
「私が本当に友人を大事にしていたのなら、むしろさっさと記事にすべきだったわね」
「え?」
 軽口のつもりの言葉に悔悟の念がこもった返事がなされて、私は呆気にとられた。
「二年間よ、二年間。真純さんと浅香さんが疑心暗鬼と嫉妬に明け暮れた時間。ひどいものだわ。私が二人のことを一番に考えていたのなら、さっさと紙上で暴露して、力ずくでもあんな関係を壊してしまうべきだった」
 だから私は、友情より新聞部を優先させた冷酷な人なのよ、と。お姉さまは自嘲気味に笑った。
 私は小さく首を振り、ただ窓の外に視線を向けた横顔を、黙って見つめ続けた。
 お節介な姉のことだ、二人に歪な関係の清算を勧めたのは間違いない。そのうえで当事者三人の誰もが事態を動かさなかったなら、今日の結末は必然だったろう。第三者が――新聞部を束ねる誰かさんが――強引に物事を動かしても、良い方向には進まなかったはず。
 お姉さまはそれが分かっていたから、三人の関係が噂に聞こえてきても、決して記事にはしなかったのだ。友情と新聞部を天秤に掛け、新聞部を取った訳じゃない。
「ほら、そんなことより薔薇さま卒業記念号の準備よ。つまらない話で時間取っちゃったけど、さっさと記事書かないとね」
「……はい」
 だからいつもの日常に戻っても、お姉さまの言葉にはどこか元気がなかったのだ。
 友人二人のことが心配で、でも何もできないと分かっていたから。







「お姉さまなら、私の立場はお分かりいただけると思いますが?」
「そうね」
 姉妹の付き合いも、あの頃から更に月日を重ねた。取り立てて何も言わなくても、私が何を思い出してそう告げたのか、十分に通じたはずだ。
「前編集部長のような記事は書けませんが、後継者は未熟者なりに頑張っておりますので、長い目で暖かく見守りください」
「……そして体よく追い払われる訳ね、私は」
 九十度のお辞儀をしてみせた妹に、深く息を吐く姉。
「ですから、そろそろお帰りになって受験勉強に取り組まれた方がよろしいかと」
「ああもう! イヤなことを思い出させないでよ!」
 やっぱりコレには逃避の意味もあったんだ。机の端で役目を終えたノートを見て私は呆れ、同時にほっとした。
 受験生の姉に心労を掛けまくっていたなんて、妹としては良くないでしょう、やっぱり。





















あとがき


 三奈子は大学への推薦入学を受けられなかったのですよね。
 原作で理由まで明示されているわけではありませんが。
 もしも、三奈子が新聞部で『やりすぎた』ために大学への内部進学の道を閉ざされたのだとしたら。

 俗世の何かを犠牲にしてまでリリアンに尽くした登場人物は、三奈子だけのように思います。
 好きな人を大事にするキャラクターはたくさん居ますが、高校という場所をいちばん愛しているのは三奈子なんじゃないかなと。

 リリアン愛の三奈子と三奈子愛の真美。良い関係じゃないですか。
 後者はかなり怪しいけれども。






目次へ




inserted by FC2 system