たからばこ は からばこ |
(1) 男女共学の公立中から、お嬢様の集う女子高。 入学して半年以上が経ち、環境の激変には慣れたつもりでいたけれど。 時としてほんの些細な違和感が芽吹くたび、それを自分の中でひそかに押しつぶすことがあた。 「後夜祭の予定……ですか?」 由乃さまはごく自然に発した言葉だったが、私には意味が解らなかった。 もちろん日本語が解らなかったわけではなく、その意図が解らなかったという意味で。 「そ。乃梨子ちゃんは志摩子さんと何をするのかなって」 「何もしませんけど」 「え?」 「というか、何も出来ないでしょう? 後夜祭の最中なんて、学園祭の仕事がいちばん忙しい時じゃないですか?」 中学時代に務めた生徒会時代に経験した戦場のような忙しさを思い出し、私は答える。 そんな私に、由乃さまは深いため息で応じた。 「乃梨子ちゃんは真面目すぎ。学園祭って私たちだけで運営する訳じゃないんだし、少しくらい抜けられるって」 「そうなんですか……」 「そう。志摩子さんはこういうこと言わないだろうから、私が教えてあげようかなって」 「ありがとうございます」 腰に手を当て無意味に仁王立ちの由乃さまに、座ったまま一礼。確かにリリアンの学園祭を初めて迎える私には貴重な情報だ。 それにしても、学園祭当日に生徒会役員が抜け出す余裕があるとは。確かにコマネズミのように働き続けるというのはお嬢様らしくないかもしれないけど。 「だから、さっさと志摩子さんとの行き先決めときなさいよ」 「そういう由乃さまは、黄薔薇さまと何処かへ?」 矛先をくるりと百八十度転換してみると、それは深々と由乃さまに突き刺さった模様。 「ミスターリリアンを、フォークダンス中によそへ連れ出せると思う?」 「暴動を辞さない覚悟があれば」 「……はあ」 由乃さまは、昨年も同じ経験をされているのだろう。姉妹によって、悩みの方向はいろいろあるようだった。 翌日、薔薇の館からの帰り道。私は志摩子さんに話を持ち出し、後夜祭に二人でちょっと抜け出すことを決めた。 白薔薇さまファンに怒られるかもしれないけど、黄薔薇さまと違って王子様役を求められてはいないだろうし、暴動は避けられるんじゃないか。 志摩子さんが小さく手を振るバスを見送った後、一人バス停に残された私は考え込んだ。 高校生活で最大のイベント・学園祭。その中で思い出を作るにはうってつけの後夜祭。 志摩子さんの都合も、ついでに私の都合も良し。 準備万端整いました。 さて、私たちはどこで何をすれば良いんだろう、と。 一晩考えた末に、これが意外な難問であることに気がついた。 校舎へ続く道をひとり歩きながらも、私は頭をひねり続けた。 志摩子さんとは休みの日に出かけたりしているし、いまさら一緒に後夜祭を過ごすことに不安は無い。 不安は無いけれど、アイディアも無い。 これが学園祭の最中なら良い。いろんな出し物を見て回るのも楽しいだろうし、お互いのクラスで当番をしているときにお邪魔しても、けっこう盛り上がれるだろう。 ただ、後夜祭となると話は別。そのときやっている公的なイベントといえば、グラウンドでやっているフォークダンスだけ。その唯一の舞台を自らこっそり下りちゃうわけで、じゃあその後どこで何をすれば良いというのか。 おまけに時間は長く見て一時間、場所は校内という制限つきだ。これじゃ見て回れる仏像とキリスト教関係の物件は、見飽きたマリア像しかないじゃない。 いや、別に志摩子さんとのお出かけが百パーセント教会仏閣めぐりって訳じゃない。せいぜい八十パーセントくらいだ。 「……」 一瞬。私たちの姉妹関係はちょっと、ほんのちょっとだけおかしいんじゃないかという考えが頭をよぎった。 「ははは、まさか」 ひとりごとにしては大きな声とともに、根も葉もない被害妄想を捨て去る。代わりに登校中の生徒数人から好奇の視線を浴びることになった。 私は、他の姉妹の状況を調べることにした。そのまま真似をするつもりはないけれど、何かの参考になるだろうと思ったからだ。 由乃さまから聞いてはじめて後夜祭の過ごし方を考え始めたくらい、いまだに私の常識はこの学校の常識とズレている。一人でゼロからトンチンカンなことを考えるより、他の人たちの予定を聞いてから考えた方が手っ取り早い。 というわけで、私は調査対象を作為抽出した。 もちろん聞きやすいのは同級生だけど、手近な瞳子と可南子さんはどちらも姉を持っていない。友人たちとの過ごし方も参考になるかもしれないけど、あと三日しか時間が無いから遠回りは出来ない。ここはストレートに、他の『姉妹』の状況を知りたいところだ。 そこで。 第一の事例。紅薔薇さま一家。 「……なんにも考えてないなあ」 斜め二十度上を見つめて考えながら呟く祐巳さまを見て、聞く相手を間違えたことを悟った。祐巳さまはマメで真面目だけど、紅薔薇さまとイベントで盛り上がろうなんて考えるタイプじゃなかった。 あるいは、単にそういう段階は過ぎてしまっただけなのかもしれない。もしそうなら羨ましい話だ。 「そうですか」 「あ、乃梨子ちゃんはどうするの? 参考にしたいな」 「……いえ、私も考えていないから祐巳さまに聞きにきたんですが」 「そっか、そうだよね」 照れ隠しに頭をかく祐巳さまを見て、改めて聞く相手を間違えたことを悟った。 こんな笑顔が出来る人なら、特別な予定なんてなくても充分お姉さまに幸せをあげられるだろう。 第二の事例。新聞部の新旧部長姉妹。 「昔から言うでしょ」 「え?」 「学園祭特集号を発行するまでが学園祭です」 元はホワイトだったんだろうなと想像するしかない、黄ばんだプラスチックに覆われたワープロ。刻印された文字がほとんど読めないキーボードを叩き続けたまま、真美さまはそうおっしゃった。 「ずいぶん対象を絞り込んだ格言ですね」 「ニッチ狙いは事業の基本よ」 「ターゲットの新聞部ではシェア何パーセントです?」 「私が知る新聞部部長業界では百パーセント。去年の今頃、お姉さまが使った言葉だから」 その業界って二人だけですよね、とは聞かなかった。記事が滞っているのか新聞部部長のタッチタイピング速度は普段より遅い。このままじゃバカ話に延々付き合う羽目になる。 「一年前に聞いたことなんて、良く覚えていらっしゃいますね」 「お姉さまが言ったことだからですか、なんてからかうつもりなら的外れ。記憶力は記者の必要条件でしょ」 「三奈子さまが聞いたら泣きますよ」 「学園祭特集号出したら打ち上げやるから、それでチャラね」 「……なるほど」 新聞部の後夜祭は、他の生徒より数日遅れになるらしい。どちらにしろ『後夜祭の姉妹』の話じゃないから、私には意味の無いことだった。 「ごめんね、白薔薇ファミリーの参考になるようなことを教えられなくて」 それどころか、格好の取材対象をばら撒いてしまったよう。わざとらしい低音に鳥肌が立った。 「当日。追いかけてきたりしないでくださいね」 「もちろん。この話を聞いてなきゃ追いかけたかもしれないけどね。ワラにもすがる思いで相談に来た下級生を裏切ったりできないでしょ」 「……ありがとうございます」 思いっきりバカにされているけど、これは自業自得。私は素直に頭を下げた。 「あ、これ貸しにしとくから。覚えておいてね」 ようやく液晶画面から離れた目は、獲物を狙う大蛇そのものだった。 結局のところ。 リサーチ結果は何の役にも立たず。私は役立ちそうな情報を入手できないまま、一人で頭をひねり足を動かすことになった。 「このあたりが良いかな」 前日の夕方になってようやく、学園祭準備の合間を縫っての校内放浪に成果らしきものが見えた。 グラウンドに下りる階段近くのベンチ。正門から反対側になるため滅多に通らないところだけど、眼下で行われるキャンプファイヤーを眺めるには良い場所だ。夕日を背にしているから逆光にもならないし。 ここのところ志摩子さんは学園祭の準備で働きづめだし、最後くらいはのんびり過ごさせてあげたい。 |
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