たからばこ は からばこ



(2)


 学園祭当日。
 志摩子さんを連れてその場所を訪れた私は、ただただ呆然としていた。
 人の気配すら無かったその場所には、姉妹同士と思しき二人組や数人組のグループなど所狭しと生徒たちが溢れていた。ベンチどころかその傍にさえ近づけない有様。
 照った日、降った日。不動産を買うときにはいろんな条件の下で見なくちゃいけない。 むかし父が読んでいた、週刊誌に書いてあった言葉を思い出した。
 普段どれだけ閑散としていても、学園祭の日は普段とは状況がまるで違う。最高のロケーションは最高の競争率になるということを忘れていたとは、本当に抜けていた。
 本来、それは別に良いんだ。ちょっとくらい騒がしくたって、それすら学園祭の後の思い出になってくれるもの。
 ただ、私たちには――より正確に言うと志摩子さんには――残念な条件がくっついている。

「白薔薇さま! 私たち記念撮影してるんです。ご一緒していただけませんか?」
「今日のお芝居、素晴らしかったです!」
 ……『白薔薇さま』がこんな人混みに表われて、放っておいてもらえる訳がない。
 ましてや今日は学園祭。生徒のテンションもお祭りモードでストップ高だ。

 十重二十重の人垣にはじき飛ばされ、あっという間に志摩子さんとの間に人の河が出来る。一瞬で居場所がなくなる逆モーゼ状態。
「お姉さま」
 杖をふりかざして奇跡を起こす力の無い私は、その代わりにリリアン女学園では滅多に聞けない低音を響かせた。
 私を――意識的にか無意識的にか――無視していた志摩子さんファンの何人かが、こちらを振り返るや否や、怯えて左右に散っていく。どうやら私は、自分の意図より五割り増しくらいに怖い顔をしていたらしい。
 その後は『恐怖は伝染する』という社会心理学の実験場。人垣の外側から内側へと、逃げ出す子が徐々に増えていく。ようやく薄くなった人の列の隙間から、私はすっと手を伸ばす。
「お姉さま、行きましょう」
 自分が生んだ人混みに混乱中の志摩子さんの手を掴み、ちょっと強引に引っ張り出す。人質をタテに包囲網を突破する銀行強盗の心境で、そのまま歩き出した。
「乃梨子……?」
「もうちょっと静かなところへ行きましょう」
 志摩子さんへの目一杯スマイルと、なおも追いすがる肝の据わったファンへの(志摩子さんの死角から)一睨み。
 それで彼女たちが石と化すのを確認し、私は志摩子さんと手をつないだままその場を立ち去った。学園に敵を十数名増やしてしまった気がするが、この際ぜいたくは言っていられない。

 何しろ今日は、一年に一度の学園祭なんだから。



 リリアン女学園の敷地は広い。
 女子大や中等部など隣接校の敷地を含めなくても、高等部だけでもかなりの面積がある。二十三区外とはいえ都内でこれだけの敷地を持てるのは、保護者やOGに資産家・有力者を山ほど抱え寄付金に困らない学園ならではだ。
 ついでに学校法人は固定資産税も非課税だっけ。本業の収益には法人税もかからないし。いやめでたいめでたい。
「静かね」
「え……あ、ほんとだね」
 逃避していた思考は、志摩子さんの呟きで現実に引き戻された。
 無自覚に『後夜祭どこでお姉さまと過ごしたいかレース』の本命一点買いをしていたらしい私に、他の良いコースを思いつけるはずもない。たどりついたのは校舎を挟んでグラウンドと正反対、通用門へと続くなだらかな坂道の途中。
 確かに人の気配は無い。無いけれど。
(キャンプファイヤーも夕日もぜんっぜん見えない……)
 ロマンチックなんて言葉から数光年は離れた、ただただ『人が居ない』だけの場所だった。他の生徒が寄りつかないはずだ。
 私は(心の中で)頭を抱えていたけど、今さら他にどうしようもない。せっかくの後夜祭なのに、私はひどく憂鬱だった。
「そういえば乃梨子、ヨーヨーはどうしたの」
「へ?」
「私たちのクラスでやっていたでしょ? ヨーヨー釣り」
 志摩子さんも私の落ち込みに気づいたのか、自分から話を振ってきてくれた。自分のせいで気を遣わせてるなあと思って、さらにさらに落ち込む。ひどい悪循環だ。
「あ……薔薇の館に置いてるよ」
 志摩子さんたちのクラスがやっていた屋台村。志摩子さんが店番をしている時間を狙って遊びに行った私は、群がる子供たちに混じって本気で挑んだ。
 結果、薔薇の館のコート掛けには、ストライプの水風船が三個ぶら下がっている。
「随分必死だったわね。乃梨子があんな風になるなんて意外だったわ」
「あはは……いま考えると恥ずかしいけどね」
 絶対に釣り上げて、子供の頃みたいに縮んでしわくちゃになるまで持っておくつもりだったからなんだけど。
 あの時の熱意とは正反対の、まるで気のない返事をしてしまう。ほんの三時間ほど前のことなのに、ずいぶん昔のことのように思えた。
 私の顔を少し覗き込んだ志摩子さんは、少し笑って隣から離れる。

 無計画にはしゃいで勝手に不機嫌を撒き散らすダメな妹に愛想を尽かしたのかと一瞬思ったけど、彼女の足は数メートル先で止まった。
「リリアンの中等部に入る前に、学校見学に参加したの」
 唐突にそんなことを口にした志摩子さんは、軽く天を仰いだ。そこに志摩子さんの意図が有るのかと、私も斜め後ろでそれに倣ってみる。
 オレンジに染まり切らない雲が、ゆっくりと手前へ流れていく。
「初めて見る学校が興味深かったから、説明会が終わってからもあちこち見て回ったの。連れてきた母も疲れてしまったでしょうね」
「……」
「時間もちょうど今くらいだったわね。最後に、ちょうどこの辺りを通ったの。ここから下を見て思ったわ。宝箱があるんだって」
「え?」
 志摩子さんの真意がまるで分からず、私は数歩分の距離を乗り越える。左隣に立つ志摩子さんが無言でそっと指さす先に、『宝箱』はあった。
「古い体育館って、上から見ると宝箱に似ていると思うの」
 私たちが素人なりに懸命なお芝居を演じたばかりの舞台が、木々の間から顔を出していた。
「そう。現物を見たことなんか無いから、もちろん映画とかテレビでの話ね。直方体にちょっと膨らんだ蓋があって、開けようとするとキラキラ光が漏れている」
「……うん。ほんとだ」
 古い体育館は窓が小さいから、余計にそう見えるんだろう。中で輝くのが蛍光灯じゃなく、仄暗い白熱電球だからかもしれない。
「ああいう宝箱って、開ける直前にちょっと大袈裟な光が漏れてくるシーンがいちばん綺麗で好きだった」
「志摩子さんらしいね」
 その後に続く『金銀財宝ざっくざく』に魅力を感じないのは、いかにもな感じがする。
「中等部の頃は、この学校も宝箱だったのかもしれないって思っていたの」
 志摩子さんは、小学生の頃からキリスト教に傾倒していたらしいし。仏像好きだけど無宗教な私には、理解できるけど共感しにくいところだ。
 いや。共感したつもりになりたくない、という方が正解に近いかもしれない。信仰は志摩子さんの根幹を成しているだろう部分だから、余計にそう思う。
「ここに入る前の私には、信仰へのただの憧れだけがあった。リリアンでそれなりに勉強をして知識は身に着けたけれど、入学前の私より信仰が深まったという自信はまるで無かった」
 だから、瞼を閉じてゆっくり紡がれたその言葉は意外だった。志摩子さん、根っこの部分では揺るがない人だと思っていたから。
「でも、高等部に来て、宝箱って一つきりじゃないんだって気づいた。開けてみてがっかりしたなら、次の宝箱を探しに行けばいい。そうして過ごしていくうちに、最初の宝箱の価値が分かる自分になれるかもしれない」
 いつの間にか私の顔を優しくみつめている志摩子さん。

「だから、『今日だけを特別な宝箱にしよう』なんて無理をしなくていいのよ」

 頬が熱くなった。視線に気づかず間抜け顔を晒していたことと、自分の気持ちをすっかり見抜かれていたことで。
 赤面っぷりを見られるのがイヤで、私は志摩子さんの右肩におでこを乗せる。そっと後頭部に添えられた小さな掌が、限りなく優しい。
「……私、そんなに態度に出てた?」
「そうね。ずいぶん肩に力が入っていたかしら」
「正直ショック…………」
「乃梨子が頑張りすぎてるのは分かったけれど、ずっとその理由が分からなかったの。だって私は、昨日も今日も明日も、変わらずいろんな宝箱を探していけるんだから」」
 その後に続く言葉で、私の顔はさらに赤く染まってしまった。

「乃梨子がそばに居てくれるだけでね」










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