やさぐれミルクホール



(1)


 高校を舞台にした物語は、たいてい夕暮れから始まる。
 それは当然のこと。
 早朝はただ通学で慌ただしいだけの時間。
 昼間の授業中に血湧き肉躍る展開が待っているはずもない。
 そして夜になれば学校から生徒たちは消えてしまう。
 だから夕方のこの時間は、私たちにとって唯一、『なにか』が起こることを期待できる時間なんだ。

 もっとも。
 薄茶色に変色した古いワープロのキーを叩き続けるお姉さまが相手では、『なにか』が起こる確率は限りなくゼロに近い。

「お姉さま」
 新聞部憲法第一条により、部員が命より大事にすることを義務づけられた骨董品のワープロ。コントラストの落ちた液晶が見づらくならないようカーテンを閉めているから、夕方なのに光源は蛍光灯だより。それでも漏れてくる夕日に埃が舞い踊る不健康な部室で、お姉さまは私の呼びかけに目もくれない。
 やむなく私は、お姉さまの視界をさえぎるかどうかという微妙なところにA4用紙の束を差し出した。
 姉妹になって数か月。お互い、そろそろ遠慮がなくなって来る頃だ。
「なにこれ」
 仕事の邪魔をされたという不機嫌さを隠さず、お姉さまはその大きな瞳だけを私に向ける。なおもキーを叩くスピードが落ちないのは流石としか言いようがない。
「先週の企画会議で決まった、一年生を対象にしたインタビュー記事です。高等部から編入してきた外部進学組の生徒に、リリアンでの一年を振り返って貰おうという」
「ああ。で、誰に聞いてきたの」
「二条乃梨子さんと細川可南子さんです」
 会話の最中も淀みなく動き続けていた、お姉さまの指がはじめて止まる。
「よく白薔薇のつぼみが相手してくれたわね。それに可南子ちゃんも、新聞部にはあんまり協力的じゃないと思ったけど。お手柄じゃない、日出実」
「いえ……相手をし過ぎてくれたのが問題というか……」
 見上げてくるお姉さまの顔がほころぶのを直視できず、私は目を逸らす。
 ようやく半人前になったかというタッチタイピングであの録音テープとさんざん格闘してきた身としては、とても賞賛を浴びる自信がない。
「どういう意味?」
「とにかく見てみてください。テレコからほぼそのまま起こしただけで、手を加えていない状態ですが」
 いやに『手を加えていない』に力が入ってしまったが、お姉さまは特にそのことに触れない。ただ不審そうな顔で私の手から紙の束を抜き取った。





        ――外部進学組が語る「はじめてのリリアン」(仮題)――

  日時:200X年3月12日(木)午後3時30分
  場所:校内ミルクホール

――本日はお集まりいただきありがとうございます。高等部より編入してきた方々から見たリリアン女学園について、何点かお伺いしたいと思います。
乃梨子さん(『乃』。以下同じ)「そんなに硬くならなくても。同級生だし」
可南子さん(『可』。以下同じ)「硬くさせてるのは、残念ながらあなたの肩書ね」
乃「今日の企画に白薔薇のつぼみがどうとか、あんまり関係ないのに」
可「読者と日出実さんはそう思わないでしょうけど」
乃「とにかく。まあリラックスして。別にかしこまってやることもないし」
――お気遣いありがとうございます。ただこれも部の活動ですので、多少は改まった形でさせてください。
可「真面目ねえ」
――では早速、最初の質問に行きたいと思います。高等部では『姉妹』という独特の制度がありますが、これについてお二人はどのように感じましたか?
乃「ヘンな仕組み」
――……というと?
乃「上級生が下級生を指導するっていうけど、それなら別に1対1でなくても良いじゃない。だいたいそういうの、クラスの班分けと一緒であぶれてイジける子が出ちゃわないかと思って心配したな」
可「乃梨子さんは典型的な学級委員タイプだものね。中学までの苦労が偲ばれるわ」
――あの……可南子さんはいかがですか?
可「最初は私も理解できなかったな。同性の先輩への憧れって秘めているから自分に酔えるものでしょ。大っぴらに公開しちゃったら、いちばん美味しい部分を捨ててるようなものじゃない?」
乃「そこまで冷静に分析できてて、どうして実践では下手打っちゃうの? 夕子さんとか祐巳さまとか」
可「そんな記憶も今では美しい思い出のひとつ……」
乃「ああ、妄想の世界に旅立った人は放っておいていいから」
――は、はあ……。高等部からの編入生は、姉妹を持つ確率が内部進学生と比べてかなり低く、また姉妹を持つ時期も遅いというデータがあります。可南子さんには姉が居ませんが、乃梨子さんは比較的早く姉を持たれましたね。
乃「そんなつもりは無かったんだけどね」
可「運命の出会い?」
乃「というか、これは今しかないな、と」
――タイミングですか?
乃「そ。ぶっちゃけ十人並の見た目なら、男なんて卒業後にいくらでも作れるじゃない。でもねー、マジで修道女になる二年前ってな美女を独占できるのは今この瞬間だけよ」
可「あ、それは私も祐巳さまに対して思ってた。レッドデータブック掲載済の無邪気さを保護しなきゃ、あわよくば自分の手で汚さなきゃって欲求あったし。具体的には夜の家路で待ち伏せて」
――可南子さん、日本では表現の自由が保障されてますけど、犯罪計画はちょっと……。
乃「ま、とりあえず私たち二人の話が終わったわけね。ところでそういう日出実さんは、どうして真美さまと姉妹になったの?」
――え? いや、私は……。
乃「そもそもそっちの方ができて間もない姉妹でしょ。新鮮だって」
可「まあ聞くまでもないわよね。部長の妹になれば、半ば次期部長が約束されてるもの。これは…………」





「途中、不自然に切れてるんだけど」
 お姉さまが顔を上げて、紙の一点を指し示す。こちらからは見えないけれど、今どこを読んでいるかは十二分に理解できた。
「インタビューに関係ない箇所ですので削除しました。先に進んでください」
「ね、何て答えたの?」
 目をキラキラさせながらすがりつく両手を、少し乱暴に引きはがす。ワープロ台そばに寄せたパイプ椅子がみしりとイヤな音を立てた。
 先代部長の三奈子さまとお姉さま。まるで似ていない姉妹という評判だったが、意外と似ているところもある。獲物に食いついたら離さないところとか。
「先に進んでください。お願いですから」
 作業も終わったことだし、あのテープは物理的に存在を抹消しよう。あれは危険だ。危険すぎる。
「ね、何て答えたの?」
 自分でテープ起こしをしたのだから、もっと都合良くばっさり改変すれば良かった。それが出来ず可南子さんのからかいまで忠実に再現してしまった、記者としての良心が憎い。
 私はなお気味の悪い笑みを浮かべるお姉さまの手から紙を奪い取り、改めて眼前に突きつけた。

 しぶしぶと言った風情でお姉さまが再びその紙に手を伸ばしたのは、それからたっぷり三十秒は経ってからだった。





――さて、お二人ももうすぐ二年生に進級されますが。
乃「あ、編集点作った」
可「乃梨子さん、一般人がそういうマスコミずれした言葉を使うのは感心しません」
――さて! お二人も! もうすぐ二年生に進級されますが!
乃「はいはい。ちゃんと答えるから大声出さないで」
――二年生になられた場合、妹を作るおつもりはあるんでしょうか?
乃「お、そう来たか。ちゃっかり白薔薇さんちのスクープをものにしようとしてる?」
可「乃梨子さん、一年足らずで山百合会に染まってしまいましたね。悪い意味で」
――いえ、具体的に誰を妹にという話ではありません。まだ下級生も入学してないですし。あくまで一般的に、どういう方を求められるかということで。
乃「そうね……。条件なら一つ考えてることがあるんだけど」
――何ですか?
乃「お姉さまがカトリック信者で私が仏像オタク。だからその下にイスラム教の信者さんが居れば世界三大宗教完全制覇になるわけよ」
――はあ……。
乃「だから、できれば妹はそちら方面で。ほら、名門女子高ならアラブの王家から留学生来たりしそうじゃない?」
可「名門うんぬん以前に、イスラム教徒が好きこのんでカトリックの学校に入るわけないでしょ」
乃「…………あ」
可「割と本気で気づかなかったのね……。これだから日本人的無宗教は」
乃「じゃ、宗教の条件はずして、ブルジョアで世間知らずのお嬢様ってことにする。日本国内じゃ小笠原家超えは難しいから、ヨーロッパの小国の王女様とかの留学生に期待かな。のちのち甘い汁も吸えそうだし。金銭的な意味と肉体的な意味で」
可「その発想も表現のセンスも、全部ふくめて最低ね」
乃「やっぱ非現実的? じゃ、他に希望する条件とか無いな」
――ぜんぜん無いんですか!?
乃「とりあえず桜吹雪の下で待ち伏せして、引っ掛かった不思議ちゃんをゲットする。美人限定ね」
可「志摩子さまが聞いたら泣くわよ、今のセリフ」
――では、あの、可南子さんの方はどうでしょうか? 姉はおられませんが、妹を持つことは考えていると聞きましたが。
可「そうね。私も一つ条件を考えているの」
――それはどのような?
可「私よりも背の高い子」
乃「居るわけないでしょ!」
――……絶対とは言いませんけど……かなり厳しい条件かも……。
可「冗談よ。本気にしないで」
乃「いや、可南子さんならあり得るかと……」
可「身長175cm以上で手を打つわ」
乃「それも居ないって!」
可「じゃあ、まだ成長中って条件で173cm。即戦力じゃないけど将来性に期待ね」
乃「値下げ交渉みたいになってきてない?」
――みたいじゃなくて、値下げ交渉そのものです。
可「じゃあ、ともかく私たち二人の条件が出揃ったところで」
――はぐらかしてばかりで出揃ってないうえに、なんだか悪い予感がしますが……。
乃「テープレコーダーの停止ボタン押さないで」
可「筆記用具も片付けない」
――いや、その……。
乃・可「「日出実さんが妹に求める条件は?」」
――やっぱりそう来るっ?





 A4用紙をぱらっと机に置く仕草に、お姉さまのため息が重なった。
 ええ、その反応は予想できていました。
「乃梨子ちゃんと可南子ちゃんに遊ばれたわね」
「そうですよね……私もインタビューの後半に気づいたんですけど」
「気づくの遅すぎ」
「……やっぱりこれ、一部でも公開できませんか? 真面目に答えてくれてないのは分かってますけど、面白いとこだけ切り取れば」
 未練たらたらの言葉を掌で遮り、お姉さまは首を横に振る。
「何言ってるの。可南子さんだけならともかく、乃梨子さんは白薔薇のつぼみなのよ。山百合会の権威が失墜するわ。あの二人も、これだけバカなこと言ってれば逆に新聞部は記事に出来ないって分かってやってるのよ」
「どうしてもダメなんですか?」
「マスコミはトップスターのスキャンダルを決して書かない」
 カーネギー箴言集より抜粋、と言わんばかりの口調で断言するお姉さま。
「事務所との癒着とか、そんな小さな原因じゃなくてね。アイドルの幻想に傷を付けたら、それで稼いでるマスコミだって長い目で見たら大損だからよ。スキャンダルが報道されるのは、落ち目となり利用価値がなくなった二線級のスターばかり」
 山百合会と新聞部は共存共栄。
 それはリリアン女学園高等部の新聞部が置かれている立場を、この上なく正直に語ったものだ。
 リリアンかわら版の学内シェアは、発行部数を生徒数で単純に割ると約70%。単なる校内新聞としては異常な数値を支えているのは、高等部生徒たちの山百合会への憧れだ。地域限定アイドルの威光が消えれば、地域限定マスコミたるリリアンかわら版の発行部数は激減するだろう。それは私たち部員も決して望まないところだ。
 お姉さまは三月いっぱいで部長を退き、後任に後を譲る。その前に私に忠告をしておきたかったのだろうか。

 ……あるいはそんな深い意味はなく、乃梨子さんと可南子さんのトークに毒されだけって気がしないでもない。

「ま、載せるとしたら、タイトルの変更確実ね」
「え?」
「乃梨子と可南子のやさぐれミルクホール」

 リリアンかわら版にまるで相応しくないそのタイトルは、紛うことなき『ボツ』の宣告だった。



「で、日出実はどうして私を姉にしたって答えたの?」
「やっぱりお姉さまはしつこいですっ!」








2008/12/14追記

 日出美→日出実の誤字訂正。
 間違えたんじゃないんです。『実』が正しいんだと知らなかったんです。←なお悪い


目次へ


2へ
inserted by FC2 system